「フォーラム通信」2022年冬春号

「横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2022年冬春号の特集は、「悩みに効く!私を守る言葉の護身術」「私、を生きるための韓国文学」。


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まだ名前の無い○○第7回男性たちは正しく傷つけるか世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」など、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前の無い○○」を、見つめていきます。れだけでは何かが微妙に足りなかったのだ。妻の死後に、家福は(2)の段階を超えて、「自分の痛みや傷について他者とコミュニケーションし、弱さを他者とシェアできる男性」(3)に変化していく。重要なのは、家福が変わっていくには、長い時間が必要だったということだ。様々な他者たちの力を借りながら、自分の傷を見つめ、それをケアできるようになること。そのためにはゆっくりと、必要な時間をかけて、男性たちは少しずつ変わっていかねばならないのである。家福が言う「正しく傷つく」とは、間違った被害者意識に陥ることではなかった。自分の弱さを否定せずに受け入れられること。傷つきやすさによっても他人と繋がっていけること。私たちはこれからどうやって「正しく傷つきうる男性」になっていくか、自分の傷つきやすさを通して自分以外の傷ついた他者たちとの関係を作り直していけるのか。新しい男性性を生み出していくためのヒントが、そこにあるように思える。●すぎたしゅんすけ批評家。1975年生まれ。川崎市出身。著書に『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』、『非モテの品格――男にとって「弱さ」とは何か』(ともに集英社新書)、『ジャパニメーションの成熟と喪失』(大月書店)など。フォーラム通信2022冬春号8傷つくべきだった」という言葉は、三時間近くに及ぶ長い映画の最後に、絞り出されるように、ようやく語られるのである。近年、#metoo運動などに象徴されるように、多数派の男性たちが持つ「男性特権」が強く批判されている。さらにいえば世の男性たちは、「男のプライドが傷つけられた」という被害者意識を、妻や母、若い女性たちから癒してもらいたい、という構造的な依存体質を持っている場合が多い。その点も忘れてはいけない。この社会では家事・育児・介護などを含むケアの配分自体が圧倒的に非対称であり、そればかりか、女性たちは傷付いた男性を癒してあげることを期待されがちなのだ。とはいえそれでもやはり、多くの男性たちが自らの弱さを語れず、傷つきやすい心をうまく他者に打ち明けられないままで来たのではないか。つまり、被害者意識と傷つきやすさ(Vulnerability)とは似て非なるものなのではないか。「俺たちだってつらいんだ」「男たちの方が被害者なんだ」という被害者意識は、むしろ、自分の弱さ、傷つきやすさを自分の目からも覆い隠してしまいかねない。男性学的に言えば、『ドライブ・マイ・カー』には、三つの次元の男性性があると言える。まずは、依然として多くの男性たちがとらわれている、家父長的でマッチョな男性性(1)。家福はもともとそのような男性ではなく、「仕事も家事もシェアし、妻に気配りのできる優しくリベラルな男性」(2)として生きてきた。しかし、そ「僕は、正しく傷つくべきだった」。村上春樹の短編集『女のいない男たち』(2014年)所収の「ドライブ・マイ・カー」を原作とする、濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)のセリフである。これは主人公の中年男性が映画のラスト近くで口にする言葉であり、男性たちにとってのセルフケアの大切さを示す言葉としても注目された。主人公の家は舞台の演出家・俳優で、テレビドラマの脚本家の妻と裕福で幸福な生活を送っていたが、妻には秘密があった。複数の若い男性たちと寝ていたのだ。家福はその事実を知りながら、妻を問い質したり、話し合ったりすることができない。仕事も家事も分担し、優しく、気遣いのできる夫であり続ける。そして妻は突然、くも膜下出血で世を去る。それから二年。家福は喪失感を抱えたまま、広島の演劇祭にチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の演出家として参加する。愛車の赤いサーブ900ターボの中は、亡き妻による『ワーニャ伯父さん』の朗読の音声だけに満たされている。亡き妻の記憶との、親密な空間。ところが、演劇祭の主宰側から、専属ドライバーの運転によって通勤するように要請される。紹介されたのはみさきという若いヘビースモーカーの女性。物語の終盤、みさきの側にも心の傷があったと判明する。彼女の母親はたびたび暴力を振るったという。そして五年前、北海道を襲った地震によって家が潰され、その時にみさきは母親を見殺しにしてしまった。お互いにトラウマ的な傷を語り合い、弱さをシェアすることによって、二人の関係は――恋愛や疑似親子ではなく――対等で親密な、ケア的な関係になっていく。家福の「僕は正しく福ふかく【今回の担当は杉田俊介さんです】最近も引き続き、男性の「弱さ」の問題について調べたり、考えたりしています。


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