003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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コラム関東大震災が生んだ横浜連合婦人会と日本初の民設婦人会館一九二四(大正十三)年九月一日、関東大震災の一周年にあたり、ある女性施設の建設計画が発表された。女性たちの十銭募金による、日本初の民設婦人会館の建設計画である。『横浜貿易新報』(八月二六日付)の記事には次のようにある。「市内三十二の婦人団体の各代表者が幸先のよい横浜市復興会に会合して、第一回の集会を開いた。この会の趣旨と目的は次のように宣言された。大震災一周年に当たりまして、私たちも婦人の立場から思い出多いこの日を永久に記念致しますため、全市婦人が一致団結しまして、横浜市の復興に奉仕したいと考えました。つきましては、この目的に添うために、一つの建物を作りまして、これを中心に、社会的並びに家庭的方面の改善に努め、併せて、各自の精神修養にも資したいと存じます。この建物はまた一般婦人に開放しまして、各自の善用に任せたいと存じます。以上の趣旨からご寄付は一口金十銭と致しました。どうかご賛成の上、ご援助のほどお願い致します。」一九二三(大正十二)年の関東大震災は、マグニチュード七・九という大地震であった。横浜は震度六度。相模湾北西部の震源地に東京より近いだけに横浜の被害は大きく、とり横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる144


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